E-than's Blog

Amazonプライム会員となって鑑賞した映画、読んだ本の感想や批評を書き綴ります。

映画「シャンハイ」をみて、戦前の日本を思う

「シャンハイ」は太平洋戦争開戦直前の上海が舞台である。

そのころの上海は日本、ドイツ、アメリカ、中国(中華民国)で分断されており、混沌としている状況が映画で描かれている。

 

シャンハイ (字幕版)

1941年、上海。その街は、誰のものでもなかった。日本、ドイツ、アメリカ、中国がお互いの腹を探り合いながら、睨み合っていたのだ。米国諜報員のポールは、同僚で親友だったコナーの死の真相を突き止めるために、この街に降り立つ。捜査線上に浮かび上がったのは、いずれも謎に包まれた者たちばかりだ。執拗にポールをつけ狙う日本軍の大佐タナカ、忽然と姿を消したコナーの恋人‧純子、中国裏社会のドン・アンソニーと、彼の美しき妻アンナ。やがてポールは革命家というアンナの裏の顔を知り、理想に活きる彼女に強く惹かれ始める。ついにポールは殺人事件の真相に迫るが、そこに暴き出されたのは、全世界をも揺るがす恐るべき陰謀だった。もはや誰も止められない歴史の波は彼らに、守るべきものは何かという、究極の問いを突き付ける。国家への忠誠か、己の命か、それとも生涯の愛か・・・。果たして最後に、彼らが貫いたものとは?(Wikipediaより)

太平洋戦争直前の日本はなにを目指していたのか。

そのころの中国は内戦状態で弱国。中国を植民地にしたかったのか?日本は資源の少ない国であり、資源を求めて領土の拡大を目指していたのかもしれない。

大東亜共栄圏構想というものがあった。大東亜共栄圏は、欧米に植民地支配されている東アジア諸国を解放し、アジア地域に共存共栄の自給自足共同体(共栄圏)を日本が主体となって樹立しようという構想である。でも、この構想は一部の軍人の幻想だったように思うが、本気で目指していた一般人、政治家もいたかもしれない。欧米の代わりに日本が植民地支配しようとしたのが現実であり、世界情勢を知っていた知識人はそんな構想を信じていたはずはない。

その頃の日本では、新聞やラジオがメディアの中心であった。局地的な戦闘に勝つたびに、メディアは日本軍をもてはやすように報じたという。それは、現在に例えると、オリンピックで日本人選手が勝ったときの報道に近いものがあったのではないか。メディアの責任は重大である。

一つの事実をメディアがどのように伝えるかで、国民感情が左右され、総理大臣の意思決定にまで影響が与えられる。メディアにSNSが加わった現代では、そのことをよく考えて発信する必要があるだろう。

 

映画「7つの贈り物」とかけて、「さだまさし」と解く

ウィル・スミス主演の「7つの贈り物」をみて、少なからず感動し、あろうことが流涙してしまった。

7つの贈り物 (字幕版)

男の名はベン・トーマス。ベンは7人の他人の名前が載ったリストを持っている。ベンは彼らに近づき、彼らの人生を調べ始める。そして、ある条件に一致すれば、彼らの人生を永遠に変える贈り物を渡そうとする。ベン・トーマスは何者なのか?海辺に素敵な家がありながらもモーテルに泊まり、外出時はいつも同じスーツを着ている。妻も恋人もなく、たった一人の弟からは逃げようとしている。彼の目的は何なのか?そして、彼らの人生を変える贈り物の中身とは−?(Amazon Prime Videoの紹介文より)

 

原題はSeven Pounds。なぜPoundsなのか、映画をみたあとでも理解できなかった。シェイクスピアと関係があるらしく、日本人には難しい。

 

以下ネタバレあり、映画を鑑賞後に読まれることをお勧めします。

 

原題の7Poundsは通貨単位ではなく、重さの単位のようである。シェイクスピア作品の「ヴェニスの商人」に、”借金を返すことが出来なければ、自分の肉1ポンドを与える”というシーンがあり、このポンドにこの映画の原題は由来するらしい。借金のかたに自分の肉を与えなければならないのか、がこの映画のモチーフである。

 

ウィル・スミス演じるベン・トーマスは、借金をしたわけではない。借金はお金を稼げば返すことはできる。ベンの希望は、借金返済ではない、贖罪である。現代では、犯罪は法律で裁かれ、刑が執行される。逆にいうと、受刑することで罪をつぐなうことができるともいえる。でも、犯罪が人の生死にかかわる場合、受刑すれば贖罪できるのかは疑問だ。それは、被害者や被害者の家族(遺族)の気持ちを考えれば理解できるだろう。

 

ベンは、自分の過失で人を死なせてしまい、受刑するだけでは贖罪できないと考えたのだ。自殺も考えたが、自殺でも贖罪できないと思い悩むようになる。

 

さだまさしの名曲に「つぐない」がある。この曲は、実際の裁判の判決時に裁判長が引用したことで、有名となった。その裁判長は、遺族に対し口だけ謝罪し、受刑すればいいんでしょと考える被告人に対して、「つぐない」の歌詞だけでもよいから読むように諭した。贖罪は受刑だけでは達成されない。

 

この映画の「7」という数字。"7 pounds" ”7 days” "7 seconds" "7 killed" 

ベンにとっての7は 

肺、肝臓、骨髄、腎臓、自宅、角膜、心臓

となった。

 

ラストシーンでエミリーは、元盲目のピアニストのエズラが出演する親子コンサートを見に行く。

コンサート終了後のエズラにエミリーは声をかける

"Ezra!"

"Hi!  Are you a parent?"

"No."

"Have we met before?"

"NO."

エミリーが(エズラの目にベンをみて)泣き始める。

”You must be Emily.”

”Yes.”

"So nice to meet you."

エミリーはベンに会いに行ったのだ。

 

この映画には多数の伏線が散りばめられている。最後まで観て初めて、すべての伏線がつながり、腑に落ちるようにできているのだ。

「7つの習慣」を漫画で理解、自分に当てはめてみた

「家族でできる7つの習慣」を読んだ。最近よくある、エピソードを漫画で紹介し、ビジネス書の解説をするタイプの本である。AmazonPrimeに加入していると無料で読めるので、軽い気持ちで読んでみた。

COMIX 家族でできる7つの習慣

COMIX 家族でできる7つの習慣

 

読んでみたら意外に面白く、分かりやすかったので、オススメである。

 

 

第1の習慣:主体的である

「もしも娘がアイドルになると言い出したら」という切り口で、父親を主人公に、家族全員の対応を描いている。スティーブン・コビィーの七つの習慣とどう関連するのか。

「まったく何を考えているんだアイドルだなんて」

これが通常の父親の反応だろう。そして娘は部屋に閉じこもる。

 

パラダイムとは、ものの見方や考え方を支配している〈認識の枠組み〉である。人によってパラダイムが異なり、それが個人の世界観を作り、すべての行動を方向づけている。

アイドルや芸能界に対して、誰もがある種のレンズを通して見ているのだ。自分にレンズがあることを知り、自分のパラダイムがあることをまず認識すること。そして「パラダイムシフト」が必要と。他人を変えるのではなく、自分自身が変わる。それから自分の外側に影響を与える。周囲の評価基準を先に変えようと頑張っても無理。

 

第一の習慣は「主体的である」こと。

レンズを外して、他人や外部環境をよく理解し(=自分を変えて)、その上で自分の価値観を保って言動するのだ。他人や環境にそのまま影響されて、自分の言動が支配されてしまうのは「反応的」であり、「主体的」ではない。

 

第2の習慣:終わりを思い描くことから始める

いずみちゃんがアイドルになると決めたのはいいが、家族でジョギングと歌、ダンスの練習をしているだけではダイエットと変わりない。一体どこに進んでいるのかをはっきりしないと練習にも身が入らない。何かに取り組むときには「目的」と「目標」を明確にしなければならないのだ。

 

アイドルになる「目的」は「みんなを勇気づけて元気にする」であり、その目的に達成するために最初の「目標」が「三拍子そろったアイドルとして認められることと、オーディション合格」だった。

 

現実的で達成しやすい目標を設定するためのポイントがある。

①なにか代償を支払う ②文字にする ③実際にやると心に誓う ④勢いに乗る(ここぞという瞬間に目標を決める) ⑤ロープを渡す(仲間と励まし合ったり応援してもらう)

 

第2の習慣は、「ミッション・ステートメント」や「思考は現実化する」と共通する考え方だと思う。君はどんなアイドルになりたいんだ?と聞かれ、「ステージの上に立って・・みんなを照らす自分が見える」と答える。どんな服でどんな歌を歌っているんだと聞かれ、「・・の衣装で、・・な曲を歌っている」と答える。明確なゴールを思い描いて、未来の自分の姿をありありとイメージするというのは、ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」と全く同じだ。

 

僕は何になりたいんだろう。社会人になって20数年経ち、今更感が否めないが、社会人としてまだ20数年残っているとも考えられる。アメリカ大統領候補のバイデン氏は77歳にして、大統領になるという目標を立てているではないか。僕が目標を立てても咎められないであろう。

僕が医学部に入ると決めたのは小学生の時だ。当初は医学者になることが目標であったが、医学部に入ったのち、どんどん変化した。末期がんの緩和ケアを目指したのち、がんの治療を目指した。変化したのは挫折したからというより、思い描いていた姿と現実に差があったからと言った方が適切かもしれない。そして今は、がんの治療から発見の方に軸足を移している。ガンの予防と早期発見である。しかし、今回も理想と現実とのギャップに苦しんでいる。

小学生の頃からの僕の目的、ミッションは「たくさんの病気の人を助ける」である。しかし、これは医師になれば誰でも達成できるとも言える。もっと絞り込む必要がありそうだ。

社会人になってからの僕はずっとガンの勉強、研究、診療をしてきた。それを社会人後半の人生に役立てたいと思う。

「地域のガン死亡率を下げる」

今すでに理想と現実のギャップに苦しんでいるが、それが①の「代償を支払う」に相当するようだ。そして、僕が下げられる死亡率なんて0.0001%くらい微小かもしれないが、ゼロではない。死亡率を下げたいという思いを現実化するにはどうすればよいか、これから一つずつ目標を立てていきたい。

 

第3の習慣「最優先事項を優先する」

いずみちゃんはアイドル修業のためレッスンや習い事が増え、それだけで疲れてしまうようになってしまった。授業中の居眠りや、成績の低下と、学生の本分が守れなくなってしまっていた。

 

そこで時間管理のマトリックスを採用することになった。これは社会人になってからも利用できる方法である。

やることリストを、重要度と緊急度が高いか低いかで、4つの領域にまず分類する。

第1領域は重要度と緊急度がどちらも高い仕事、

第2領域は緊急性は低いが重要な仕事、

第3領域は緊急性は高いが重要ではない仕事、

第4領域はどちらも低い仕事である。

まず第4領域を削除する。そして、第2領域の仕事をまず予定に組み込む。そうしなければ、第2は緊急性が低いために後回しにされてしまうからである。そのあとに第1、第3を組み入れるようにしていく。いずみちゃんにとっては勉強が第2領域であったため、おろそかにされてしまったのだ。

 

僕にとっての第2領域はなんだろう。社会人にとっては、人生設計やキャリアプランに費やすことかもしれないが、僕にとって人生設計はほぼ確定されており、今更この年齢でキャリアアップやキャリアチェンジというわけにはいかない。最近よく、僕にとって大好きなことはなんだろう、ワクワクして時間を忘れることはなんだろうと考える。子供のころ、カブトムシやクワガタを夢中になって探したり、プラモデルを時間を忘れて作ったりしていた。そのようなことが今の自分にあるだろうか。

僕は喋るのが上手くないが、書くことはあまり苦にしないほうだと思う。同僚や友人に文章がうまいと言われたことも何度かある。書くことが僕にとっての第2領域ではないか。書いてお金が稼げるようになれば言うことなしであるが、そこまでの能力はなさそうである。ブログで人の少しでも役に立てる文が書ければ満足である。

夜寝る前の時間を、第2領域の作文の時間に当てていきたいと思う。

 

第4の習慣 WIN-WINを考える

オーディションを受けるためのチームの一員となったいずみちゃん。アイドル修業を始めたばかりのいずみちゃんは他のメンバーより明らかに遅れており、練習についていけない。劣等感ばかりが先にたち、気持ちがあせってしまう。そして、メンバーに追いつきたいばかりに、メンバーのマネをしてしまう。自分を見失いそうになるが、兄の言葉で自分の立ち位置を見つける。メンバーそれぞれを評価し、強みを発見し、メンバーに伝えたのだ。弱点を指摘せず、強みや長所のみを伝えたのがここでのポイントである。個人の長所を引き出し、足りない部分をお互いに補えば、チーム力は上昇する。

 

人間の関係性を整理すると、6つのパラダイムに分類される。

Win-Win(自分も相手も欲しい結果を得る)、②Win-Lose(相手を蹴落とす)、③Lose-Win(自分を踏み台にして相手を幸せに)、④Lose-Lose(共倒れ)、⑤Win(自分だけよければ良い)、⑥No Deal(違いを認めて合意しない)

 

我々は②のWin-Loseのパラダイムに陥ってしまうことが多い。価値の判断基準が相対的であり、他人との比較や、周囲の期待に対する達成度などで自分の存在意義を考えてしまうのだ。相手のレベルが下げれば勝てるので、自分の成長は必ずしも必要ない。

Win-Winの関係では、互いの利益を追求し、誰もが納得できる結論や解決策に到達する。私もそうだが、我々はどうしても、いつの間にか、友人や同僚、家族と自分を比較してしまい、劣等感もしくは優越感をもってしまう。まず周囲の人と自分を比較することをやめ、自分なりの判断基準やビジョンをもつことが必要だ。そうすることで、自分と周囲の人、それぞれが満足できる結果を目指すのだ。

 

第5の習慣 まず理解に徹し、そして理解される

まず相手を理解するように努め、そして自分を理解してもらう。この順番を守らなければ、信頼関係を築けない。思春期の子供が考えていることをまず理解してあげようとしなければ、子供は反発するだけだ。親に理解されたと子供が思えたら、子供は心を開いてくれる。子供も親を理解しようとする。思春期の子供をもつ私にとって、身につまされる。思春期の子供の考えることは分からないということをまず受け入れないと、自分が子供と同じ年齢だった30年前の価値観で、きっとこういうふうに考えているに違いないと決めつけてしまう。子供(相手)をまず理解するように努めないと。

 

相手に共感しながら、じっくりと話を聞くには、

①「急がなくていいよ、聞いているから」

②相手に集中 

③相手が自分にコンタクトをとりやすいように、オープンな状態に 

④自分と異なる相手の観点を認める 

⑤会話をコントロールしない 

⑥相手の立場になって感じる 

⑦質問で、相手の考えを整理してあげる 

⑧十分説明させる 

⑨きちんと理解できたか確認する 

⑩相手の気持ちに敏感に 

以上10個のステップがあるとのこと。

相手が子供だと、どうしても会話の流れを親の望む方向に誘導したり、アドバイスありきで進めたりしてしまいがちだ。相手(子供)よりも相手の状況をうまく説明してあげるのが、親の役目なのかもしれない。

 

第6の習慣:シナジーを作り出す

いずみちゃんのプロモーションビデオの撮影がいよいよ始まることとなった。いずみちゃんの家族が主体となって作るのだが、やはり一家族だけでは限界があり、他のメンバーの家族にも協力を依頼することとなった。でも、自分の子供がPVに出るとなって、他の家族が自分勝手な、色々な意見を言って、まとまりがつかなくなってしまった。親や家族は全力で応援し、必死なのだ。

そして、勇介くんが考えたコンセプトが、「親に会いたくなるアイドルPV」だった。それぞれの親、家族に役割を与え、歌とダンスだけではなく、親子のシーンも盛り込んだのだ。

 

シナジーを作り出すには、自分の考えに囚われすぎず、他人との違いを認めること。妥協案ではなく、第3案を作り出す。自分と相手の共通点を採用するのは妥協、自分と相手の案をすり合わせて新しいものを生み出すのが相乗効果、シナジーである。1+1=1,000にするのだ。

「相乗効果で第3案を作る」がキーワード。自分の意見で足りないところを、相手の意見で補いつつ、一段上のレベルに持ち上げる。

 

第7の習慣 刃を研ぐ

セブンハビッツはオーディションで最高評価を受けたが、一位にはなれなかった。あまりに前評判が高くて新人発掘オーディションの主旨に合わなかったのだ。

そして、いづみちゃんはアイドルのトレーニングに冷却期間をおいて、高校および大学に行くことにした。アイドルになる夢を諦めたわけではなく、もっと自分を磨いて人間の幅を広げるのだ。トレーニングなど一つのことに追われているだけでは、切れ味が悪くなるので、刃を研ぐのだ。

 

第1から第6の習慣は成果を得るための考え方と行動を示し、第7の習慣は高い成果を継続し、本物の習慣にするのだ。高校に行ってもっと広い世界に触れ、知識と教養を幅広く身につける。それは本物のアイドルになるために必要なことである。目標に一直線ではなく、すこし回り道する。そのような心の余裕が必要ということか。

 

日本では、高校を卒業して医学部に6年間行けば約90%の確率で医師になれる。早ければ24歳で医師だ。一直線な感じがするわけだが、実はそうでもない。医学部に入る前に他学部に行く人いるし、留年や休学する人もいる。卒業後も、留学したり、色々な科を経験する人もいる。

一見、回り道をしているようだが、医師としてどれだけ人に役に立てるかが医師の最終目標なので、医師を引退するまで40年あるとすれば、1ー2年の回り道は誤差範囲だ。もしその回り道の経験が1人の患者さんに役に立つとしたら、元を十分とったことになる。

僕ももう少し回り道してみるか。

 

映画「G.I.ジョー (2009)」にみる、勧善懲悪

10年以上前に公開された、G.I.ジョーの1作目をAmazonプライムでみた。原作がアニメとのことで、アイアンマンやアベンジャーズと近いアクション映画となっている。

G.I.ジョー (字幕版)

まずは、映画.comの解説より。

世界の平和を守る超ハイテク装備の国際的な秘密部隊に入り、悪の組織と戦う。秘密基地に集った仲間は、寡黙な忍者や狙撃の名手で天才的頭脳を持つ美女など、個性派ばかり。対する敵も、過去を秘めた非情な忍者と美女、マスクで顔を覆った異端の科学者を揃え、まさに少年の頃に夢見た正義の戦士たちの活躍が、CGを駆使したリアルな映像で味わえる。

「そう遠くない未来」と前置きされた物語は、背景に現実味を出そうとはせず、気持ちが良いほど荒唐無稽。凝ったデザインの武器やメカが次々と登場し、破壊度は高いが血は流れない多彩でスリリングなバトルが連続する。

中でも、金属を食い尽くす超兵器ナノマイトを巡ってパリで繰り広げられるチェイスは斬新だ。特殊な装置を隠した車で激走する敵を、ハイパー・スーツを着て超人的身体能力を得た主人公たちが必死に追う。「トランスフォーマー」の人間版のような市街戦だ。エッフェル塔が、ナノマイトに侵食されて倒壊する映像も息を呑む。また、敵の秘密基地での攻防は、「スター・ウォーズ」の海中版の趣。懐かしくて新しい戦いに適度なユーモアも絡み、興奮しながらも時折笑みがこぼれる。

しかし、映像で魅せる反面、大半の装備やメカの解説はなし。日本のシーンが中国風など、物語にも突っ込み所は多い。展開にメリハリがなく、一気に突っ走るので少々疲れるが、深くは考えず、かつて胸躍らせたヒーローたちの世界を思い出しながら楽しみたい。

(山口直樹)

2009年製作/122分/アメリ
原題:G.I. Joe: The Rise of Cobra
配給:パラマウント

出演はチャニング・テイタムシエナ・ミラーイ・ビョンホンデニス・クエイドほか。

(ネタばれあり)

チャニング・テイタム演じるデュークは、苦い過去を引きずっている兵士である。最新の兵器を運搬するという、危険が少ない楽な(と思われた)仕事を与えられた。しかし、その最新兵器を狙って、未来から来たような敵に襲われ、最新兵器を奪われてしまう。

善と悪がはっきりしている映画は、安心してみていられる。結末も必ずハッピーエンドだ。悪に行ってしまった元婚約者を引き戻すことにも成功した。忍者のルーツが中国みたいになっているのもご愛嬌で、気にはならない。

昔、TVで放送されていた水戸黄門がなぜ人気があったかは、勧善懲悪ものだったからだと思う。最後に、助さんと角さんが徳川の紋所をみせて、悪者をやっつけて終わる。ワンパターンといえばそれまでだが、見ていてそれがスッキリなのだ。

 

 

映画「マスター・アンド・コマンダー」にみる、昔も今も変わらないこと

Amazon Primeマスター・アンド・コマンダーをみた。2004年公開だから17年前の映画だが、画像が美しく、古さを感じさせない。

マスター・アンド・コマンダー (字幕版)


まずは映画.comの解説から。

パトリック・オブライエンの海洋冒険小説「英国海軍の雄 ジャック・オーブリー」(ハヤカワ文庫)シリーズを原作に「いまを生きる」「トゥルーマン・ショー」のピーター・ウィアー監督が映画化。19世紀初頭、ナポレオン率いるフランスと交戦中の英国海軍。不敗神話を誇る伝説の英国軍艦長ジャック・オーブリーは、その情熱と誇りある生きざまを通じて、10歳の少年から老人までを含む総勢約130人の乗組員たちを率いていく。

2003年製作/139分/アメリカ 原題:Master and Commander: The Far Side of the World

 

[人間と微生物との闘い]

本編で何回か出てくる手術のシーンが興味深かった。19世紀初めは手術するのに、手術器具の滅菌もせず、術野の消毒もなく、ほぼ麻酔もなかった(少し朦朧とする程度)。腕を骨折すると切断し、頭蓋骨を切除して血種を取り除いた後は金具で蓋をする。これがこの時代の最先端の医療技術だったのだろう。準主役の船医が「術後の感染症で兵士が死んだら、戦死したと思うようにしている」と言っていた。細菌がまだ発見されていないのだから、仕方がないのだが、手術の腕をいくら磨いても助けられないのは悔しかったに違いない。

この時代から、約200年経過した。いまだに微生物(細菌とウイルスなどを含む)が我々の敵だ。微生物を撲滅できる日は来るのだろうか。僕が思うに、微生物は地球上からいなくなることはなく、撲滅できる日は来ないだろう。でも、ワクチンを作成するスピードは速くなるに違いない。今回の新型コロナワクチンを作るのに1年かかったが、もし1か月で作成可能となれば、パンデミックになる前に封じ込めるだろう。ワクチン作成に1年と聞いて、素晴らしく速くなったとは思ったが、もっともっと速くなってほしいものだ。

[人の動かし方]

戦闘の合間でただただ暑く、風が吹かないため帆船が進まず、乗組員たちの士気が下がっている中、こんなシーンがあった。

(ネタバレあり)

まだ10代の若い士官が、仕事のミスを部下である水兵達にとがめられてしまう。気の弱い士官は反論もできず、いわば「部下に舐められた上司」の状態となってしまった。そして、事件が起こる。甲板上の狭い通り道で、年上の生意気な水兵とその士官がすれ違い、わざと士官の肩にぶつかった。謝りもせず通り過ぎようとした水兵に、その士官は怒ることもしなかったのだ。それを偶然見ていた艦長が皆んなの前で怒鳴り、水兵に鞭打ち刑を与えた。自分のせいで鞭打ち刑を与えてしまったと思った士官は、部下の水兵達の仕返しが怖くなり、指揮をとることもできず、自ら命を絶ってしまう。戦死ではない理由で士官の一人を失うことで、艦長は反省し、部下に対する言動を変えていく。

 

軍隊でなくとも、会社などの組織でも起こりうる事例だと思う。言うことを聞かない平社員をもつ、少し出来の悪い部長。社長が見かねて、皆んなの前で平社員を怒鳴ってしまう。そして部長にも注意する。こうなると、一番つらいのは中間管理職である部長である。社長は部長のことを思って行動しても、逆に部長を追い詰めることがあることを知っておいた方がよい。教科書的には、社長は皆んなの前で怒鳴るようなことをせず、社員と部長を一人ずつ呼び出して注意するのが良いとされるが……。軍からの任務を遂行することを最重要とする艦長、会社の利益を伸ばすことを使命とする社長。艦長も社長も即断即決が求められる環境の中で、一人ずつ呼び出して注意、なんて悠長なことができれば、苦労はしないか。

 

映画「アジャストメント」をみて、運命とはなにか考えてみる

アマゾンプライムマットデイモン主演「アジャストメント」をみた。

アジャストメント (字幕版)

映画.comから抜粋引用する。バレリーナのエリースに一目ぼれした政治家のデビッドは、決められた運命を逸脱しないよう世の中を監視している「アジャストメント・ビューロー(運命捜査局)」に拉致されてしまう。同局は、本来なら出会う運命にはないデビッドとエリースを引き離そうとするが、2人はその運命にあらがう。

設定は、人の運命は第三者によって決められ、調整されているという神の存在を連想させるもの。だが、---宗教色を排除し、調整者を人間ぽく描いた。念力は少し使えるものの、ミスを犯し、--- 街中のドアを利用した秘密の通路網を整備し、素早く移動する---。

デビッドはエリースにひと目惚れするが、そのまま突っ走るわけではない。3年間会えず、さらに紆余曲折を経て結ばれるが、一度は別れを決意する。それでも彼女を求める心の叫びは消えず、運命に挑むのだ。調整者はデビッドに、エリースと別れねばならないもっともな理由を話す。

 

運命の調整は現実にあるのか?

 

実体験として、大学入試での出来事がある。私は数学の問題を早めに解き終えて、見直しをしていた。特に問題ないなと思い、終了時間が来るのをボーと待っていた。終了1分前となり、なんとなく問題用紙に目を落としたとき、一つの答えが間違っていることに気づいた。しかも、一つ間違うと連鎖的に次も間違う問題となっており、合計3つも答えをミスっていた。

大慌てで計算しなおし、残り10秒でマークシートのマークを消しゴムで消し、書き直したのだ。最後の一つを書き直した瞬間に「終了!」の合図がでた。まさに間一髪。配点は分からないが、書き直していなければ恐らくマイナス10点くらいだったのではないか。

 

そして、その大学の受験結果は「補欠合格」。あの数学の問題を書き直していなければ、「不合格」だったのは明らかだ。その後、入学辞退者がでて、最終的に合格となり入学した。

大学は地元から離れており、一人暮らしをしなければならなかった。無事卒業し、20年後の今も縁あり、その大学の近くで勤務している。

 

数学のあの解答を書き直していなければ、浪人して地元の大学に行ったはずだ。そうなっていれば、今の妻とは出会わなかったであろう。妻は大学が同じだからだ。あの書き直しがなければ、今の家族、今の日常はなかったに違いない。

 

あのとき、運命の調整が私に実施されたようにしか思えないのである。

 

映画「LUCY ルーシー」をみて、マーフィーの潜在意識を考えてみる

スカーレット・ヨハンソンのLUCYをみた。飛行機の中で一度みたので、今回は2回めの視聴になるが、前回みたときのことを全く覚えていなくて、まずビックリ。

LUCY/ルーシー [Blu-ray]

映画.comの解説より抜粋。「・・・ごく普通の生活を送っていた女性ルーシーは、台北のホテルでマフィアの闇取引に巻き込まれてしまう。マフィアは、人間の体内にある物質を埋め込み、その人間を海外に送り出すことで物質の密輸を行おうとしていたが、ルーシーの体の中でその物質が漏れ出すアクシデントが発生。その影響により、普通の人間なら全体の10%しか機能していないと言われる脳の機能が、徐々に覚醒していく。脳の覚醒率が上がるに従い、超人的な力が解放されていくルーシーは、自分と同じような人間を二度と生み出さないためにも、マフィアの計画を阻止するために動き始める。」

 

アベンジャーズでお馴染みのスカーレット・ヨハンソンアベンジャーズでは、ハルクなど超人と比べると、普通人に近いブラックウイドウを演じている。しかし、LUCYではある物質により脳が覚醒、超人に変化する。その超能力を使って、マフィアなど邪魔者を排除し、電波を自由に扱い、そして人類に知識を授ける。

 

マフィアを泣いて怖がる普通の女性だったLUCYから、恐れを超越するLUCYに変化していく過程を、スカーレット・ヨハンソンが上手く演じている。監督リュック・ベッソンらしく、展開が速くて面白かった。

 

LUCYをみて、マーフィーの潜在意識のことを思い出した。

人間の意識には顕在意識と潜在意識があり、人間は顕在意識しか普段使用していない。潜在意識をいかに活用するかで、人間は成功できるかが決まる(といわれる)。自分では認識できない潜在意識の思う方向に、自然に導かれていくのである。リュック・ベッソンが潜在意識をテーマにしたかはわからないが、潜在意識を100%活性化させるとどうなるかLUCYが示しているように思えるのだ。