E-than's Blog

Amazonプライム会員となって鑑賞した映画、読んだ本の感想や批評を書き綴ります。

映画「シャンハイ」をみて、戦前の日本を思う

「シャンハイ」は太平洋戦争開戦直前の上海が舞台である。

そのころの上海は日本、ドイツ、アメリカ、中国(中華民国)で分断されており、混沌としている状況が映画で描かれている。

 

シャンハイ (字幕版)

1941年、上海。その街は、誰のものでもなかった。日本、ドイツ、アメリカ、中国がお互いの腹を探り合いながら、睨み合っていたのだ。米国諜報員のポールは、同僚で親友だったコナーの死の真相を突き止めるために、この街に降り立つ。捜査線上に浮かび上がったのは、いずれも謎に包まれた者たちばかりだ。執拗にポールをつけ狙う日本軍の大佐タナカ、忽然と姿を消したコナーの恋人‧純子、中国裏社会のドン・アンソニーと、彼の美しき妻アンナ。やがてポールは革命家というアンナの裏の顔を知り、理想に活きる彼女に強く惹かれ始める。ついにポールは殺人事件の真相に迫るが、そこに暴き出されたのは、全世界をも揺るがす恐るべき陰謀だった。もはや誰も止められない歴史の波は彼らに、守るべきものは何かという、究極の問いを突き付ける。国家への忠誠か、己の命か、それとも生涯の愛か・・・。果たして最後に、彼らが貫いたものとは?(Wikipediaより)

太平洋戦争直前の日本はなにを目指していたのか。

そのころの中国は内戦状態で弱国。中国を植民地にしたかったのか?日本は資源の少ない国であり、資源を求めて領土の拡大を目指していたのかもしれない。

大東亜共栄圏構想というものがあった。大東亜共栄圏は、欧米に植民地支配されている東アジア諸国を解放し、アジア地域に共存共栄の自給自足共同体(共栄圏)を日本が主体となって樹立しようという構想である。でも、この構想は一部の軍人の幻想だったように思うが、本気で目指していた一般人、政治家もいたかもしれない。欧米の代わりに日本が植民地支配しようとしたのが現実であり、世界情勢を知っていた知識人はそんな構想を信じていたはずはない。

その頃の日本では、新聞やラジオがメディアの中心であった。局地的な戦闘に勝つたびに、メディアは日本軍をもてはやすように報じたという。それは、現在に例えると、オリンピックで日本人選手が勝ったときの報道に近いものがあったのではないか。メディアの責任は重大である。

一つの事実をメディアがどのように伝えるかで、国民感情が左右され、総理大臣の意思決定にまで影響が与えられる。メディアにSNSが加わった現代では、そのことをよく考えて発信する必要があるだろう。